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Working Memory
メモ帳のように何か乱雑に
http://flavors.me/medr
彼の美学はこういう言葉を思い起こさせます。
「ファッションとは、美しく見えるがのちに醜くなるもの。芸術とは、最初醜く見えるがのちに美しくなるもの」
私は娘の写真を何百枚と撮影しています。その一枚一枚は、「君のことが大好きで仕方がないからシャッターをきるんだ」という気持ちで撮影していますが、私がそれを書き残していなかったら、その思いはどこに残るのでしょう。
虚偽の記憶が永続したケースと、「社会への同調」によって一時的に誤った回答をしたケースとで、脳の活動を比較した結果、研究チームは、記憶間違いの神経的要因を突き止めることに成功した。主要な引き金になっているとみられるのは、2つの脳の領域、海馬扁桃体が同時に激しく活性化することだ。

海馬は長期記憶の形成に関わっていることで知られる領域、扁桃体は脳の感情中枢だ。この2つの領域が同時に活性化すると、正しい記憶と虚偽の記憶は、虚偽の記憶のほうが社会的要素を帯びていた場合、入れ替わってしまうことがある、と研究チームは述べている。このことは、他者によるフィードバックは、われわれの記憶する体験を形づくる強い影響力を持っていることを示している。

なぜこの現象が起こるかについて、研究者たちは次のように述べている。


偽りのプロパガンダなどがもたらす社会的影響は、政治キャンペーンや商業広告における個人の記憶に有害な影響を及ぼしたり、目撃者の証言を変化させて裁判の妨げになったりするおそれがある。しかし一方で、記憶の同調は、適応的役割を果たす可能性も考えられる。社会的学習は、個人的学習よりも効率的で正確であることが多いためだ。このような理由から、人間は、本来の個人的意見と食い違っているときでさえ、集団の判断を信頼する傾向をもっているのかもしれない。


この研究は、社会的に共有された物語が、個人の記憶をまったく信頼できないものにしうることも説明している。例えば、2001年9月11日の「鮮明な」記憶に関して調査が行われている。悲劇的なテロ事件があってから数日後に、ウイリアム・ハーストらによって率いられた心理学者たちが、人々の体験についてインタヴューを行い、その後も個々の記憶について追跡調査を行ったのだ。その結果、1年後には、事件の詳細の37%が、最初の叙述から変化していた。2004年には、その数字が50%近くに達した。研究者たちは現在、10年目の調査結果をまとめているが、おそらく記憶のほとんどがフィクションに近いものになっているだろう。

われわれの物語は、よりよいものになる。よりエンターテインメント的で、ドラマチックで、恐ろしさをより強調したものになったりする。しかし、その「改良」は事実を犠牲にすることで行われている。物語は意味を生じさせるが、人生はふつう、そうではないからだ。

自分”というのは脳みそにあって、起きている時には皆がはっきりと“自分”というものを持っているらしい。具体的に脳みそのどこにあるかと言うと、空間を把握する領域である、空間定位領野という場所で、これがあるおかげで、帰り方の道順を理解し、頭に地図が入るようだ。地図に示された現在位置を表す矢印こそが自己であり、そもそも現在位置がないと脳内の地図が役に立たない。だからこそ空間定位領野のなかに自己があるのだという養老先生のお話は、大変興味深いものであった。
運営の中心を成している一つが「成長チーム」で、これはFacebookがユーザーとの繋がりを維持するために作った中央集権型チームだ。例えば、Zuckerbergによると、このチームを通じて同社は、メンバーがサイトに戻ってくるためには、最低10人の友達がいてニュースフィードに十分なコンテンツが必要であることを発見した。そこでFacebookは、ユーザーが新規登録した時のフローを再設計して、すぐに繋がれるよう友達を探す(そしてその最低値に到達させる)ことに集中させた。Zuckerbergは、同社がこのアイディアを、Dropbox等、他のスタートアップにも輸出したことを明かした。「満足できる製品が出来たら、成長を続けることに集中する必要がある。」

彼らは私たちを負け組だと言ってるようだが、本当の敗者はウォール・ストリートにいる。連中は私たちのカネで莫大な額の保釈金を払ってもらったようなものだ。私たちを社会主義者だと言うが、いつだって金持ちのための社会主義が存在しているではないか。私たちが私的財産を侵害していると言うが、たとえここにいる全員が何週間も日夜休まず破壊活動を続けたとしても、2008年の経済破綻で破壊された個人の財産には及びもつかない。私たちを夢想家だという。でも、夢を見ているのはこのままの世の中が永久に続くと考えている人々だ。私たちは夢を見ているのではない。悪夢となってしまった夢から目覚めようとしているのだ。

私たちは何も破壊してなどいない。私たちは単にシステムが自己破壊するのを目撃しているのだ。誰でも知ってるマンガの定番のギャグ。ネコが崖にやって来るが、足の下に何もなくなってもそのまま歩き続けてしまう。そして、ふと下を見て気づいた途端、落っこちてしまう。私たちがここでやっているのは、ウォール・ストリートの連中に「おい、下を見てみろよ!」言うことだ。

2011年4月半ば、中国政府はテレビ、映画、小説などで別の現実やタイムトラベルを描いたものを禁止した。これは中国にとってよい兆しだ。中国の人たちはまだ別の現実を夢見ることができるから、それを禁止する必要があったわけだ。この国では禁止する必要すらない。支配的システムが私たちが夢見る能力すら奪ってしまった。巷にあふれる映画を見てみるがいい。世界の終末を想像するのは簡単だ。巨大な隕石がすべての生命を死滅させるだの何だの。それなのにあなたは資本主義の終わりを想像することができない。

私たちはここで何をしているのか?共産主義時代のふるったジョークを一つ。東ドイツからシベリアへ送られることになった男の話だ。手紙を書いても検閲官に読まれてしまう。そこで彼は友人たちに言った。「暗号だ。もし私の手紙が青インクで書かれていたら、そこに書かれていることは本当だ。もし、赤インクで書かれていたら内容はウソだ。」ひと月経って、友人たちは男からの手紙を受け取る。全部青インクで書かれている。内容はこうだ。「ここではすべてが素晴らしい。店は質の良い食べ物でいっぱいだ。映画館では西側の良い映画をやってる。アパートは広くて豪華だ。ただ1つ、赤インクだけは売っていないんだ。」
これは現在の私たちの生活そのものだ。私たちはありとあらゆる自由を享受している。でも、ここには“赤インク”がない。私たちの〈非-自由〉を表現するための言葉がない。私たちが教えられる自由を巡る言説―「テロとの戦い」とかなんとか―は自由を歪曲する。あなたがたがここでやっていること。それはすべての人々に“赤インク”を与えることだ。

ひとつ危険がある。自己陶酔してはならない。確かにここで起きていることは素晴らしい。でも、祭りは安っぽい気晴らしだ。重要なのはこのあと、日常生活に戻ってからだ。何か変わるだろうか?この日々を振り返って「私たちは若くて、ビューティフルだった」なんて追憶に浸ってほしくない。「私たちはオルタナティブを思考する自由がある」これこそが私たちの基本的なメッセージであることを忘れないでほしい。このルールが破られたとしたら、私たちはあるべき世界に生きていないということだ。しかし、道は遠い。私たちは真に難しい問題と直面することになるだろう。私たちが欲しくないものははっきりしている。では何が欲しいのか?資本主義に代わる社会機構とは?どんなタイプの新しいリーダーが必要なのか?

覚えておいてほしい。問題は不正や強欲ではない。システムそのものだ。システムが否応なく不正を生む。気をつけなければいけないのは敵だけではない。このプロセスを骨抜きにしようとする、偽の味方がすでに活動を始めている。カフェイン抜きのコーヒー、ノンアルコールのビール、脂肪分ゼロのアイスクリームなどと同じように、この運動を無害な人道的プロテストにしようとするだろう。私たちはもう、コカコーラの缶をリサイクルしたり、チャリティーに募金したり、スターバックスでカプチーノを買ったらその1パーセントが第三世界の飢えた子どもたちに送られるなどといったことでは満足することができない。だから、ここに来たのだ。労働と拷問をアウトソースした後、今や婚活産業が私たちの愛と性をアウトソースし、見えてきたことは、私たちはもう長い間、政治参加をアウトソースすることを許してきてしまったということだ。それを取り戻さなければならない。

コミュニズムが1990年に崩壊したシステムを意味するのであれば、私たちはコミュニストではない。それらのコミュニストたちがこんにち、最も効率的で容赦ないキャピタリストであることを思い起こそう。こんにちの中国にはアメリカの資本主義を凌駕する勢いの資本主義があり、しかもそれは民主主義を必要としていない。だから、資本主義を批判する人が、民主主義の敵だなどと言われる筋合いはないのだ。民主主義と資本主義の結婚は終わった。変化は可能だ。

こんにち、可能であると考えられていることとは何か?メディアを追ってみればいい。テクノロジーとセックスの分野においては、あらゆることが可能であると考えられているようだ。月に旅行することも、バイオジェネティックスの力によって死を克服することも、動物やら何やらとセックスすることも。一方、社会と経済の分野においては、ほとんどあらゆることが不可能だとされている。富裕層への課税を増やしたいと言えば、競争力を損なうことになるから不可能だと言う。医療保険制度にもう少し金を回してくれと言えば「不可能だ。全体主義国家に通じる」と。死を克服できると言いながら、医療保険に予算を割けないというのは、どこかが狂った世界だ。

優先順位をはっきりさせる必要があるかもしれない。私たちが求めているのは生活水準を上げることではなく、生活を良くすることなのだ。私たちをコミュニストと呼べるとしたら、それはコモンズ(共有財)に関心を持っているという一点に尽きる。自然のコモンズ。知的財産の民営化のコモンズ。バイオジェネティックスのコモンズ。これこそが、私たちが戦わなければならない唯一の理由である。コミュニズムは確かに失敗した。しかし、コモンズの問題は今ここにある。

私たちのことをアメリカ人ではないと言う人もいる。しかし、自分たちこそが真のアメリカ人であると主張する保守派原理主義者たちはきちんと考えてみるべきだ。キリスト教徒とは?すなわち聖霊である。では聖霊とは?それは互いへの愛によって結ばれた信者たちの平等なコミュニティーであり、その成員は自らの自由意志と責任によってのみ拘束される。その意味で言えば、聖霊は今ここにいるではないか。そしてウォール・ストリートでは偶像を崇拝する不敬な異教徒たちが跋扈しているということになる。

だから、私たちに必要なのはひとえに忍耐だ。私が唯一恐れているのは、私たちがそのうち家に帰って、年に一度みんなで集まってビールを飲みながら「あの時はよかった」などと語り合うようになってしまうことだ。そうはならないと自分自身に約束してほしい。人は何かを欲しながら、それを手に入れようとしないことがよくある。自分が欲しいものを手に入れるのを恐れないでほしい。どうもありがとう。

俺が母ちゃんにならったことで一番好きなこと。どう考えても論破できる場合でも相手に必ず逃げ道を用意しろ。追い詰めても何もいいことはない。逃げ道に救いを用意しろ。相手を救うのが言い争いのホントの勝利だ。こんなこと中学生の俺に教えてくれた俺の母ちゃんは偉大だ。そういうことを思い出した。

Twitter / @tknbn (via raitu)
2011-10-15 (via gkojax-text)

中学生男子にそういう話を諭す母ちゃんいいわ

(via slowleaner)

(si479から)

257 名前:名無しさん@涙目です。(庭) :2011/10/28(金) 23:19:18.41 ID:EYZXMFFU0
»89
明治文学に触れればわかるが今の価値観から見れば当時の男はホ●というかバイが普通の状態
特に当時のエリート達の間では薩摩出身学生の影響で男色が流行ったと森鴎外の著者にもある
そんな環境の中で夏目漱石がその影響を受けていない訳がない
西洋化に伴い同●愛がタブーになると同●愛から性愛が分離され友情の概念が生まれた

今でこそ男の絆といえば友情でホ●はそれを破壊すると考えられているが
元々は男の絆は男色感情と友情感情の入り交じったも激しい物であり
男子同●愛から性愛を排除した友情という概念は20世紀になって生まれた

(wideangleから)

食用のためバチカンでは魚類に分類されている。
カピバラ - Wikipedia (via wideangle)
2009-05-06 (via yasaiitame) (via mcsgsym) (via petapeta) (via brccolsy) (via wideangle)
 リビアの反カダフィ派「国民評議会」のアブドルジャリル議長は23日、リビアの「解放」が宣言された北東部ベンガジでの式典で「シャリア(イスラム法)が法の基本となる」と演説。銀行の利子を原則として禁止し、妻を4人まで持つことを容認するなど「新生リビア」ではイスラム教に沿った法を施行すると表明した。

機能不全家庭の親は、自分が子供にしてあげたことはよく覚えていて、過大評価する一方で、自分が子供に与えた悪影響は、過小評価するか、記憶から削除する。自分がうまくいかない原因を子供のせいにする。子供のことを勝手に決めつけ、一方的に評価し判断し、子供の気持ちを無視し続けておいて、いよいよ子供との関係に問題が表れると、「子供が何も言ってくれない!子供のことが何もわからない!」と言う。これでは子供が親に何か言おうという気になるわけがない。今の若者もこれと同じだ。

そういう段階になった時に、親が取りがちな行動としては、まず、「努力が足らん!根性が足らん!」「せっかく育ててやったのに!」と、あからさまに子供のせいにする方向がある。これは非常にわかりやすい。もう一つは、あからさまに子供のせいにするのは親として良くないという意識は辛うじてあるので、子供のことなど何もわかっていないのに、「私はあなたの味方よ」というポーズを取る方向がある。これは、子供のことを理解するよりも、「良い親でありたい」という欲望のほうがまだ優先されている状態だ。若者のことをわかっていない年長者も、だいたいこの二つのタイプに分けられるのではないかと思う。

*小学生時代前半に教える事。
迷った時に 見知らぬ人にも 意見や助言を 物おじせずに聞く方法を教える事。
おつかいで商品に迷った時 道に迷った時 何かに困った時・・
クヨクヨイジイジせずに すぐに尋ねる術を身につけさせる事。
そして お金の使い方。お小遣いをあげたら 何に使おうがいつ使おうが 基本は見てみないふり。
そしてただ貯めず 欲しいものが見つかった時 手に入れる為の貯金だと認識させる。
「一日で使ったら すぐなくなるよ 後で困るよ」と先走って教えても 子供にはわからない。
「お年玉 沢山 たまったんだから 自分で買いなさい」と言ったら お金は 貯め損だと認識する。
お金の使い方は お小遣いの範囲で十分に 失敗成功を経験しないと 大人になって裏目に出ます。 
一日で無くなって 残り29日辛い思いをして 割り振りを覚える。
毎日 計算通りに使って せっかく貯めたお金を 親が簡単に「自分のお金で買いなさい」と言えば
没収された気分になり 使わないと損!とか 貯まった事を隠しておこうという金銭感覚を身につけます
また 失敗するたびに甘やかすと 大人になって 必ず 借金をする人になる。
最後は 誰かが(親)が何とかしてくれるという気持ちが根付いてしまうので 大事な時期。
人口1億2700万人の国では一つの凶悪事件でもってその社会的・政治的な崩壊を意味しない。精神や道徳の崩壊も意味しない。それは単に精神病が一人の男を打ち負かしただけの話。
appbank:

kashino:

via gyazo.com
同意。そして、灘中学あたりの入試が数学科の院試レベルだったら、Terence Taoを超える小学生低学年での数学オリンピック金メダルが数年に一人か二人はでるかもね。
要するに機会とインセンティブがあれば、そういうダントツの例外も出てくるんじゃないか、ということだよね。


わかる

appbank:

kashino:

via gyazo.com

同意。そして、灘中学あたりの入試が数学科の院試レベルだったら、Terence Taoを超える小学生低学年での数学オリンピック金メダルが数年に一人か二人はでるかもね。

要するに機会とインセンティブがあれば、そういうダントツの例外も出てくるんじゃないか、ということだよね。

わかる